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ガラテヤ人への手紙 5:17 - Japanese: 聖書 口語訳

17 なぜなら、肉の欲するところは御霊に反し、また御霊の欲するところは肉に反するからである。こうして、二つのものは互に相さからい、その結果、あなたがたは自分でしようと思うことを、することができないようになる。

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ALIVEバイブル: 新約聖書

17 私たちの生まれながらの性質は、神の霊が命じることとは正反対なことを好むんだ。 一方、神の霊の導きのままに歩んでいる時に行ないたくなる善は、生まれながらの願望とは正反対のものなのだ。 内面のこの2つの力は、どちらも私たちを思いどおりに動かそうと、いつも格闘している。 そして私たちは、この2つの力の板ばさみになって、したいと思うことが自由にできない状態なのだ。

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Colloquial Japanese (1955)

17 なぜなら、肉の欲するところは御霊に反し、また御霊の欲するところは肉に反するからである。こうして、二つのものは互に相さからい、その結果、あなたがたは自分でしようと思うことを、することができないようになる。

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リビングバイブル

17 私たちの生まれながらの性質は、聖霊がお命じになることとは正反対の悪を好みます。一方、聖霊の導きに従って歩んでいる時に行いたくなる善は、生まれながらの肉の願望とは正反対のものです。内面のこの二つの力は、どちらも私たちを思いどおりに動かそうと、いつも格闘しています。そして私たちは、この二つの力の板ばさみになって、したいと思うことが自由にできない状態なのです。

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Seisho Shinkyoudoyaku 聖書 新共同訳

17 肉の望むところは、霊に反し、霊の望むところは、肉に反するからです。肉と霊とが対立し合っているので、あなたがたは、自分のしたいと思うことができないのです。

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ERV 訳 ー 読みやすい聖書 ー(新約聖書)

17 人間の弱さにあるこの「欲」 と、聖霊がしたいと思うこの「思い」はお互いにぶつかり合っている。そう!この2つの思いは戦い合っているのだ。ということは、あなた達は勝手に自分の思うがままに行動することは許されていないということだ。

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聖書 口語訳

17 なぜなら、肉の欲するところは御霊に反し、また御霊の欲するところは肉に反するからである。こうして、二つのものは互に相さからい、その結果、あなたがたは自分でしようと思うことを、することができないようになる。

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ガラテヤ人への手紙 5:17
35 相互参照  

そこで主は言われた、「わたしの霊はながく人の中にとどまらない。彼は肉にすぎないのだ。しかし、彼の年は百二十年であろう」。


あなたの約束にしたがって、わが歩みを確かにし、 すべての不義に支配されないようにしてください。


わたしがいかにあなたのさとしを 愛するかをお察しください。 主よ、あなたのいつくしみにしたがって、 わたしを生かしてください。


わたしは失われた羊のように迷い出ました。 あなたのしもべを捜し出してください。 わたしはあなたの戒めを忘れないからです。


わが魂はつねにあなたのおきてを慕って、 絶えいるばかりです。


あなたがわたしの心を広くされるとき、 わたしはあなたの戒めの道を走ります。


わたしをあなたの戒めの道に導いてください。 わたしはそれを喜ぶからです。


見よ、わたしはあなたのさとしを慕います。 あなたの義をもって、わたしを生かしてください。


主よ、あなたがもし、もろもろの不義に 目をとめられるならば、 主よ、だれが立つことができましょうか。


善を行い、罪を犯さない正しい人は世にいない。


その時わたしは言った、「わざわいなるかな、わたしは滅びるばかりだ。わたしは汚れたくちびるの者で、汚れたくちびるの民の中に住む者であるのに、わたしの目が万軍の主なる王を見たのだから」。


わたしの味方でない者は、わたしに反対するものであり、わたしと共に集めない者は、散らすものである。


すると、イエスは彼にむかって言われた、「バルヨナ・シモン、あなたはさいわいである。あなたにこの事をあらわしたのは、血肉ではなく、天にいますわたしの父である。


イエスは振り向いて、ペテロに言われた、「サタンよ、引きさがれ。わたしの邪魔をする者だ。あなたは神のことを思わないで、人のことを思っている」。


誘惑に陥らないように、目をさまして祈っていなさい。心は熱しているが、肉体が弱いのである」。


義に飢えかわいている人たちは、さいわいである、 彼らは飽き足りるようになるであろう。


シモンが言った、「主よ、わたしは獄にでも、また死に至るまでも、あなたとご一緒に行く覚悟です」。


言われた、「なぜ眠っているのか。誘惑に陥らないように、起きて祈っていなさい」。


肉から生れる者は肉であり、霊から生れる者は霊である。


なぜなら、もし、肉に従って生きるなら、あなたがたは死ぬ外はないからである。しかし、霊によってからだの働きを殺すなら、あなたがたは生きるであろう。


では、律法は神の約束と相いれないものか。断じてそうではない。もし人を生かす力のある律法が与えられていたとすれば、義はたしかに律法によって実現されたであろう。


わたしたちは皆、多くのあやまちを犯すものである。もし、言葉の上であやまちのない人があれば、そういう人は、全身をも制御することのできる完全な人である。


私たちに従ってください:

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